大きな種と甘い果肉を持つ「ビワ」。その形が楽器の「琵琶」に似ていることからこの名が名付けられたとか。果物としてそのまま食することもできますし、加工してゼリーやジャム等にすることもよくありますよね。ビワの木は実は豊富な成分を秘めており、3000年以上前から薬効が知られ、日本、中国、インドなどで薬として扱われてきました。
ビワの原産国は中国だと言われています。伝播の背景については諸説ありますが、ビワの学名が“Eriobotrya Japonica”(“Japonica”はラテン語で「日本の、日本産の」という意味)であることから、日本が原産国のようにも思えます。しかしこれは江戸時代の学者が日本産だと誤った見解から命名したためとされており、今日、日本で食用のために栽培されているビワは中国から伝わったものとされています。
ビワの実は食用として親しまれていますが、枝・葉・根・茎・種などにも優れた薬効成分が含まれていることから、様々な民間療法が伝えられています。3000年前のインドの仏典「大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)」には、ビワの木を「大薬王樹(だいやくおうじゅ)」、ビワの葉を「無憂扇(むゆうせん)」と呼び、生けるものすべての病気を治すとまで言われていました。中国明朝の薬物書『本草綱目(ほんぞうこうもく)』という書物の中に、「胃を和し、気を下し、熱を清し、暑毒を解かし、脚気を治す」とあり、当時の人々の患いを治していたことが伺えます。現代でも各種のガンを始め、神経痛、子宮病、胃腸病、皮膚病などに効果があったという事例が数多く残されています。
ビワの葉療法は、鑑真和尚が仏教医学として中国から日本に伝えたとされています。奈良時代に聖武天皇の妃だった光明皇后が、庶民救済施設として創設した「施薬院」では、葉を使ったビワの葉療法を行い、病苦に悩む人々を救ってきました。江戸時代になると、乾燥したビワの葉などを煎じ「枇杷葉湯(びわようとう)」として、天秤棒で荷を肩にした枇杷葉湯売りが夏の町を行商していたと言います。それは単に渇(かつ)を癒すだけでなく、庶民の夏の暑気払いや腹下しの際に盛んに飲まれていたことから、夏を告げる風物詩でもありました。また、ビワの葉を湯船に浮べると湿疹やあせも等にも効き、美肌効果としても用いられていたそうです。
民間療法として奈良時代より伝わるビワの葉療法は、近年改めてその効果が認められ、疼痛、婦人科疾患、ガン等様々な疾患に効果を発揮しています。
ビワ産地の上位は、長崎県、千葉県、鹿児島県、香川県、愛媛県。ここからもわかるように、温暖な気候環境の中で育ちます。私たちは国産の化粧品原料を開発する中で、ビワの産地としては決して名高い方ではないですが、静岡県伊豆市の土肥地区で栽培される白ビワに目をつけました。
西伊豆の真っ青な海を見下ろす緑濃い丘で栽培されるこの白ビワは、全国でもこの土肥地域でしか栽培されておらず、幻の果実といわれています。果実の色が淡いクリーム色をしており、一般的に流通しているオレンジ色の品種と大きく異なります。見た目は小ぶりですが味は絶品、果肉が柔らかく、とても濃厚で上品な甘さです。甘さを示す糖度で比較すると、一般的なビワの糖度が11~12度で美味しい、13度で最上級と言われる中、土肥の白ビワは糖度18度を誇り、群を抜く甘さであることがわかります。これらの特徴は土肥地域特有のもので、他の産地品では見られません。また、旬が5月末から6月上旬の約2週間しかない上に、果実が非常に繊細で傷みやすく、もぎ取った数時間後に果実が褐色化してしまうことから、市場にはほとんど出回りません。この希少性の高さが「幻のビワ」と呼ばれる理由でもあるのです。
特長的な果実を持つ白ビワ。その葉にも特長的な有効成分が含まれるのではなかと考え、原料開発に着手。様々な試験を行った結果、白ビワの葉に含まれる高い抗炎症作用を確認しました。我々が使用するビワの木は、伊豆市が管理するビワ農園「花木園」にて無農薬で育てられたビワの葉を使用しています。白ビワの葉は、他県産のビワ葉とは色が違うのですが、これは有効成分の違いによると考えられます。
白ビワ栽培の唯一の場所、伊豆市土肥。土肥地域特有の土壌や気候が白ビワにとって最適な環境だと言われています。しかしなぜ土肥だけなのでしょうか?
その歴史は明治初頭の頃まで遡ります。1877(明治10)年、静岡県知事が中国から帰った知人から白ビワの種子を譲り受け、これを県下13郡に配布し、栽培を試みました。その結果、実をつけたのは唯一土肥村のビワだけだったのです。その木から接木苗を育成して農家に配布、土肥の白ビワとして産地化に成功。明治36年には、皇室にも献上されるほどの品質を保っていましたが、昭和34年の伊勢湾台風で壊滅的な被害を受け、その存在は一時忘れ去られました。しかし、昭和50年代に一部の有志により、“土肥びわ研究会”が結成され、昭和56年の農林水産技術開発事業により、見事復活を果たしました。土肥でしか味わえない「幻の白ビワ」には地元の方々の熱い思いが込められているのです。ちなみに、地元の土肥小学校の校章は、ビワのデザインをモチーフにしていているんですよ。
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